多賀関まででおよそ300年。これだけの時間をかけて大和朝廷は米国の西部開拓よろしく関東・東北を支配下に置いたのである。
既に奈良・平安時代となり、日本固有の文化が都に花開いていた時代である。

更に関東には「夷には夷を」の思想から新羅・高句麗の渡来民を多く入植させた。
だから関東には関西を凌ぐほど朝鮮系の地名が多い。埼玉には高麗 (こま)、秩父、飯能、神奈川には厚木、秦野、不倫調査 岩手
など枚挙に暇がない。東京の駒込、駒形の駒も高麗が語源という学者もいる。ちなみに馬のことを駒というのは 高麗系虎移民が牧畜をしていたからだそうである。 前にも書いたが「良い悪い」の問題ではない。これが歴史的事実である。筆者は関西以西の方々が今でも「東夷」と思っているとは全く思っていない。 ただ「日本は一つ」と言うときに、安易に言うのではなく、この国の成り立ちや地域差について少しだけ理解してから「日本は一つ」を信じてもらいたい。 筆者の場合そんな事でも考えていないと、これ以上菅の行状を見せ付けられたらこちらが狂人になってしまう。

§57 · 10月 9, 2014 · 未分類 · · [Print]

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